松澤秀延(在日クルド人と共に)

1980年後半頃に、東南アジア・中東から来日した外国人が日本で生活している人と知り合いました。土木・建築現場での作業員と多く出会い共に同じ作業をし仲間と思っていたのですが、突然現場に現れなくなっていた。バプル後期で90年代にバブルが崩壊し外国人が帰国・収容された。その事を後で知り不法滞在者、オーパステイ状態で働いていた事は入管も分かっていましたが、外国人を労働者でなく日本は彼等を使い捨てにして安く労働者不足を補うために利用した。急激なバブル崩壊により外国人が先に解雇され邪魔者とし収容・強制送還して出国を促している、日本は外国人に対して優位な立場を利用し経済の調整弁としての存在であり人権を認めない姿勢が統いています。それがこの映画ドキュメンタリーとしてリアルに表現されています。81年難民条約批准も難民としてよりも労働者不足対策の一環として利用されている事が根底にある悲劇が繰返される現実がリアルな表現で収容者面会での体験が鮮やかに蘇る。